かねがね行きたいと思っていた東寺。 五山の送り火を観る会に参加する事になり、帰りも遅くなることだし、一泊して少し京都を観てみようということになった。京都駅に着いたのは11時一寸前。先ずホテルに荷物を預けることにする。8月16日。全国的にお盆休みの真っ只中。混雑していない筈がない。ホテルのロビーは人で溢れていた。駅に近いせいか外国の人も多い。 東寺を観たらホテルで一休みして、送り火を観る前にどこか一個所を回ってからという心積もり・・ しかしその計画はもろくも崩れた。 暑い!
私の住んでいる名古屋も暑いことでは相当なものだけれど、この京都の暑さは一体何? 一人歩きではぼやく相手もいない。
この先が思いやられる。 |
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東 寺(教王護国寺)
東寺は空海が教祖。密教の寺である。密教というと何か秘密めいた神秘主義を感じるけれど、私には弘法さまとして親しみがある。幼い頃、私の家の近くでは、三月か四月か、二十一日は弘法様の日とかで、赤い幟を掲げた家々に行くと、何がしかのお菓子を袋の中へ落としてくれた。 いつも腰ぎんちゃくのようにくっついていたおばさんとあちこちその幟を探して歩いたものだった。何故その日にちまで覚えているかというと、その日が丁度私の誕生日と同じだったからに過ぎないが・・・。東寺では毎月21日には弘法市が開かれると聞いている。矢張り私の記憶に誤りはなかった
有名な五重塔は京都のシンボルとも言われる。平安京造営時に、羅城門の両脇に王城鎮護の寺として西寺とともに建立されたが、西寺が焼失したため、今はこの寺だけが往時をしのばせている。延暦15年(796)年頃から造営され、空海の時代からは真言宗の総本山となり、密教文化の宝庫である。
金堂、五重塔、大師堂、蓮華門は国宝で、特に五重塔は日本で最も高い木造の塔として知られる。世界文化遺産登録。 |
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北 大 門 |
金 堂 |
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五 重 塔 講 堂 |
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太 子 堂 食 堂
たった一人、一心に手を合わせて祈っていたこの男性の後姿は忘れ難い。 |
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瓢 箪 池 |
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白い蓮の花 ケータイで撮る 百日紅 |
南大門 |
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東寺の中はすべてが大きく古く黒っぽかった。歩いている人もまばら。じっとりと暑く重たい空気の中、
この辺りに僅かに見つけた人の群れにほっととする私。 |
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観 智 院 (東寺の塔頭)
ここは剣聖・宮本武蔵の墨絵があることで知られる東寺の塔頭。延文5年(1360)ごろ創建された。本尊は五大虚空菩薩像。
関西地方では、子供が13歳になると頭がよくなるようにと仏に祈願する「十三参り」の風習があり、観智院でも特別公開の折りには
その祈願を受け付けているとか。 そういえば私が行ったこの日も子供連れの賑やかな家族を見かけた。 |
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広すぎない院の門内には百日紅。春は梅が咲くようだ。中庭には、つくばいなどあって廊下を巡るのもたのしい。 |
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五大の庭 (客殿前の庭園)
弘法大師が唐の長安から密教のすべてを学び帰国の途中海難に遭われた時に守護の海神に護られて航海する様を表している。
中央が遣唐船とこれを守護する竜神、神亀、鯱を表し、無事本国(築山)へ帰還される光景だそうな。「変わった石庭?」と思った途端に、「魚みたーい」という子供の声が聞こえた。子供の直感にはかなわない・・・。 |
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左は愛染明王の像。薄暗い部屋で拝観したときは威圧されるようなお顔に見えたけれど、こうしてパンフで観ると観ると頬はふっくら、二の腕はむっちりして、なるほど女性らしいことがわかる。加えてその眼もまんまるくどこか愛嬌がある。
右は五大虚空菩薩像。文字通り虚空を蔵するの意味で、広大な宇宙のような無限の知恵と慈悲を持った仏像だそうな。
中央はそのお顔の一部。長四角のお顔の輪郭はふと、法隆寺の百済観音を連想した。
下は国宝の部屋。宮本武蔵が描いた床の間の鷲の絵と襖絵は竹林図。しかし、これだけ磨耗していると何が何やらわからなくな っている。
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宮本武蔵も襖絵のある国宝の間 |
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