ブルサ |
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ラマダン明けのお祭りで、イスタンブールではグランドバザールがこの日をのがすと見られないとあって早朝ホテルを発ち、先ずオスマン朝の都であったブルサへ。
ブルサはトルコでは五番目に大きい都市であり、オスマン朝の最初の首都でもある。この日訪れたモスク、イエシル ジャミイは、1420年、メフメット二世の命によって建てられたもの。思ったより質素で華やかさはなかった。 |
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イエシル ジャミイ |
イエシル ジャミイ の入り口 |
内部 青いタイルが美しい。けど、質素 |
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ブルサはシルクロードの終点でありバザールにもシルクを扱う店が何軒か。しかしバザールの中は、あれ?これがバザール?と、不審に思うほど人気もなく森閑としていた。バザールを一歩外へ出ると・・・この出方がかなり難しい? 混雑で迷ったのではない。同じような細い通路がいくつもあって、あれ?あれ?といいながらあちこち行きつ戻りつしてしまう。 私一人だったら、完全に迷子になり集合時間に遅れたことだろうナ。旅はみちづれ・・・・・ |
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人気の少ないシルクバザール |
それでもバザール前の広場は人々が集っている |
家族連れが三々五々・・・、とても仲がよさそう |
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昼食後、マルマラ海をフェリーにのってイスタンブールへ。 いよいよヨーロッパとアジアを結ぶイスタンブールである。この日も雨であったら、と思うとぞっとする。 幸い快晴の海と空! 旅はこうでなくては...。 |
イスタンブールへ向かう マルマラ海横断のフェリー |
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船べりで 景色を 楽しむ 乗客 |
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いよいよイスタンブールという期待と、旅も後わずかという安堵感とで、皆のんびりと両サイドの景色に見入る。 |
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イスタンブール |
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トルコの歴史は古く長い。
あまりにも有名なトロイ文明の時代をもっと遡り、BC.8000年の頃よりアナトリア地方より始まる。大雑把に記すことすら私には困難。
エフェソス都市などを作ったギリシアが統治した時代。 ローマ帝国時。 、ビザンチン(東ローマ)帝国時代。
その後ラテン帝国などという耳新しい時代もあることに気づいた。これは第四次十字軍(トルコの富や利権を狙ってやって来た)の時代。
その後、オスマントルコ帝国時代、この時代から、コンサタンチノーブルからイスタンブールと都市の名を変えた。そして、ケマルパシャが築いた現在のトルコ共和国。
トルコの歴史に精通したら、ヨーロッパ全土の歴史がわかりそうだ。
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ヨーロッパで4番目に人口の多い(1000万人以上)イスタンブールは、人口の90パーセントがイスラム教徒といわれるけれど、国教ではないので、どことなく町を歩いていても自由な雰囲気が伝わってくる。
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バスはイスタンブール市内に入った。 |
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夕刻、帰宅のバスを待つ人々 |
バザールの入り口。 ものすごい人、人、人! |
店主と 若い客の 娘さん |
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バザールの入り口。混雑振りがわかる |
入り口にはこんな紋章のようなものが美しい。 |
バザールの外で見かけた母子 |
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ドルマバフチェ宮殿 |
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オスマン帝国後期の宮殿。内部の壮麗さにおもわず、「ルーブルよりいいわ!」と私は言ってしまった。デニスさんは「皆さんそう仰います」といった。でも私はパリに行きながら、ルーブルは見ていない、想像の域で言ってしまった! しかしあまりにも有名なルーブル、行ったことはなくてもあちこちのサイトで拝見済み。
私のイメージでは、ルーブルは金ぴか、それに比べるとここはいぶし銀の美しさ。そしてアジアンテイストがいっぱい。これまで私は、自分がアジアの一員だと深く認識したことはなかったけれど、トルコへ来て改めて日本もアジアであることに気付かされた。人々といい、物産といい、抵抗なく受け入れている自分にはっきり気づく。文明の十字路といわれる所以でしょう。 |
大きくて カメラに 入らない!
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衛 兵 交 代 |
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アヤソフィア
アヤソフィアとは『神の知恵』という意味。アヤソフィア寺院は325年にコンスタンティヌス二世によって、ギリシア正教の教会としてたてられた。そんな時代に天井の丸い屋根が柱を使わずに建てたのだそうな。 その建築技術に驚く。
アヤソフィアの壁画はトルコの歴史の変わり様が歴然。ここは537年に完成してから900年間キリスト教最大の聖堂だった。オスマン帝国時代の1930年頃にモスクへと改築された時、漆喰の壁の下からキリストの美しい姿が現れた。現在、アヤソフィアはキリスト教の祭壇とイスラムの祭壇が並ぶ、世界でもめずらしい場所だそうである。下の右の写真が漆喰のしたから現れたそれである。 |
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漆喰の下から現れた壁画 |
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ミナレット |
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トプカプ宮殿
トプカプ宮殿はオスマントルコ帝国時代の歴代スルタンが暮らした城でボスポラス海峡がみえる丘の上にある。今は博物館として利用されている。
宝物館には、想像以上の金銀、宝石をちりばめた武具、調度品、それに装身具の数々。それに青磁や青花の東洋陶磁など。 いかに当時の国力が大きかったかがわかる。 |
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宮殿の門 |
ブルーのタイルが美しい |
宮殿の 入り口 |
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中 庭 |
バルコニーから 海が みえる |
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ハ レ ム (パンフレット より) |
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下...は名古屋市博物館で催された『トプカプ宮殿の至宝展』の入場券。 右の三枚は絵ハガキ。 現地で見たあの大きなエメラルドをちりばめた短剣やルビーのアクセサリーなどはは当然ながら展示されていない。優れた東洋陶磁も数多いのに驚く。東は中国、西はローマから遠くエジプトまで力を伸ばしていた証か。大きな青磁の皿や壷にはあちこちから入場者の嘆声が聞かれた。 |
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兜 と 陶器 |
美しい物入れ |
チケット |
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この後、地下宮殿と称する私が楽しみにしていたところへいく予定が、あまりの混雑で省かれてしまったのはかえすがえすも心残り。地下宮殿といっても実際は当時の地下水槽で、長さ138m、幅65mの巨大な地下にある水槽で大きな列柱が立ち並び、そのうちの二本には、メドウサのかしらが土台になっているという。ひとつは逆さ、もうひとつは横向きだそうな。興味をそそる。柱頭にはアカンサス。ここは、007の映画『ロシアより愛を込めて』にも使われた事でもた有名。大いにがっかりした私。
イスタンブールの街の中心、タクシム広場のタクシムとは分水器の意味でここから都市の各方面に水を送った。
これがタクシム広場の名前の由来である。 Wikipediaから列柱とメドウサの土台の写真を拝借しました。<(_ _)>
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地下の列柱 |
メドウサの土台 |
見事なシャンデリア |
上の右端の写真は、混雑のあまり入れなかった地下宮殿の代わりに急遽連れて行かれたのではないかと私が想像する、歴代のスルタンの棺がずらりと並んでいる廟であった。私はずらりと並んだ立派な棺には目もくれず、このシャンデリアに目は釘付けになったままでした。金ピカでないところがお気に入り。 |
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この夜は、ガラタ塔でベリーダンスのショーを見る。比較的行儀のよいベリーダンスであった。観客も一緒になって踊ったり健康的?なショー。
中央の白いかぶりものの男性は、右の絵本にある『ホジャ』という人物ではないかしら。
ホジャってどんなひと?と訊いたとき、添乗員のK君は、「日本の一休さんのような人です」といった。日本語の絵本が出ているというので、買った本が右である。トルコで知らない者はない有名な賢人?のような存在らしい。皮肉と諧謔を交えた小話をたくさん残している。読んでいて思わず、くすっと笑いたくなる話がたくさんのっていた。 |
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ベリーダンスのダンサー |
ホジャを囲んで。
トルコ語がわかればおもしろかったでしょう |
ホジャのエピソードがたくさん載っている。 |
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