エフェソス |
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聖母マリアの家
エフェソス遺跡の近く。山道を辿ると四角い小さな石造り。それが聖母マリアの家である。道の入り口にあるマリア像は今世紀になって置かれたもの。小さな箱のような教会の中は撮影禁止。私語禁止。敬虔な祈りをささげて静かに十字を切って立ち去っていく人。信仰には無縁な私たちも思わず神妙な気持に襲われる。
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日本のおみくじを思わせる、メモや布切れ |
聖母マリア像 現地ガイドのデニスさんとにこやかに語る尼僧 |
聖母マリアの家の内部 (パンフレトより) |
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聖母マリアの家 (パンフレットより) 聖母マリアの家の水(体のいいといわれている) (パンフレットより) |
キリストは十字架にかけられる前に母マリアを聖ヨハネに託したと言う。その後,聖ヨハネは12年に聖母マリアを連れてこの地にやってきたと言われている。聖母マリアはここで、40年になくなったとされる。聖母マリアが、キリストの死後どうしたかと言うことなど、考えも及ばなかったので、この事実には驚かされた。 |
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エフェソス遺跡 |
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エフェソスは、BC6世紀に最も繁栄した。その後リディア王国、ペルシア王国の支配下に置かれ、BC.334年には、かの有名なアレキサンダー大王の支配下に置かれた。しかし大王は早世。BC27年にはリシマコス帝の支配下に置かれた。現在、残っているものは殆ど、その時代のものと言う。
その後、ローマ帝国に支配されたエフェソスはアウグストゥス帝時代にローマ帝国のアジア州の首都となった。しかし、またもや、262年にゴート族に襲撃され、二度と繁栄を取り戻すことはできなかった。(パンフレットより抜粋)
左はエフェソス遺跡の俯瞰図 (エハガキより)
画面上のほうから入り、下の松並木を通って出口へ。
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私はさほど多くは遺跡を知っているわけではない。エジプトのルクソール、アブシンベル、ギリシアの、オリンピア、デルフィ等々。それらはいずれも、少なからず、神殿の雰囲気を持っていた。 けれど、ここ、エフェソス(エフェスとも言う)は違う。前者とは違い、時代が下がるせいかもしれないけれど、人間の匂いがぷんぷんする。当時の人々の生活の匂いが身近に迫ってくる。 当時の大都市を実感する。
歩いていると、まるで、都会の雑踏の中を行くような錯覚にとらわれて、わくわく・・の感情にとらわれる。その感覚に酔いしれたと言ってもいいかもしれない。銀ブラしてる、と言って笑われた。
時代的に、聖母マリアや使途ヨハネがここを歩いたと言われても不思議はない。ひょっとしてあのクレオパトラも? 現に、パムッカレの温泉も彼女が入ったと言われているし・・・。
ハマム(浴場)、体育館、音楽堂に大劇場。中でもセルスス図書館(ケルススとも言う)の立派なことに驚く。 |