神  殿

カルナック・ルクソール神殿

ヒツジのスフィンクス

カルナック神殿の参道に並んでいるヒツジのスフィンクス。スフィンクスはライオンばかりかと思ったら、ヒツジもあるんですね。でも座り方はライオンそっくり。あごの下にはラムセス二世像が。これがずらりと参道の両側に併せて40体並んでいました。
聞きしに勝る大列柱。

ラムセス一世によって建てられ始め、二世によって完成したといわれますが、ラムセス二世ってよほどすごい王だったのですね。巨大な柱が並んでいます。部屋と呼ぶには天井はなく、無数に立ち並ぶ、巨大な柱の数々は圧巻!としかいいようがありません。柱にはヒエログリフやまだ鮮やかに色彩の残っている絵もたくさんあります。私にはオドロキとフシギの連続でした。
忘れられない像

何という王なのか、または王子なのか、貴族なのか、私にはなんとなく心ひかれる立像でした。幼さの残る端正な顔が今でも心に残っています。これが古代エジプト人の顔?あの目は何を見つめ、何を考えているのか。失せた足、もげた腕、でもすっくと立っていました。
神殿の外から

これはルクソール市内を馬車観光したときのしゃしんです。神殿の外から撮った写真です。こんな、とてつもない古い建造物の傍らをアタリマエのように歩いている土地の人々。この人たちはこんなすごい文化遺産をどう思っているのでしょうか。これは対ではありません。対になっていたオベリスクの一方はパリのコンコルド広場にあります
メムノンの巨像

かつてはアメヘンテブ三世の葬祭殿の入り口に置かれていたそうですがその葬祭殿は今は無く、この二つの巨像は朝日を浴びるとキーンと言う音を出し、それが泣いているようだとも、歌っているようだとも言われ、遠方からわざわざ観にくる人も多かったそうです。今は何も無い畑の真ん中に忽然と立っている様子は奇異にさえ映りました。
王家の谷

以前、『王家の谷』と言う映画がありました。ストーリーも忘れてしまいましたがそのロケがあったところです第18王朝トトメス一世から第0王朝サムセス11世までの墓など11基がある。広いひろい。ツタンカーメンの墓へ降りていく道の両側はたくさんの壁画、棺はカイロ博物館に移されて今はなにもありませんが、棺の収められていた穴のすぐ脇にはセラピーの語源となったセラピス神殿のナントかカントカ、ウーン、聞き取れ無くてザンネン至極。
ハトシェプスト女王葬祭殿

世界中があっと驚いたあの、乱射事件のあったところ。こんな見通しの良いところであんな事件があったなんて!今は入り口に銃を持った兵士が2.3人、雑談をしながらのんびりと立っているだけのようにみえました。でも、アレ以来観光客がぐっと減って、大層こまったそうですが、私の知り合いは、あの事件の後、今行けば空いていたのにと言った豪の者がいましたっけ
。この崖の向こうが王家の谷です。
切りかけのオベリスク
石切場

これは切り出す途中でひびがはいりそのままになっている、石です。こんな大きくて重い石をどうやって運んだのかだれでもギモンを持ちますよね。毎年7月にやってくる洪水を利用して舟で運んだとガイドさんは言いました。ナルホド、洪水ネ!とそのときは納得しましたが、待てよ?1000トン以上もある石をどうやって?と私は未だにギモンが解けません。それにしても私たちの常識では洪水イコール災害と考え勝ちですが古代の人はそれを利用し彼等の生活のプラスに換え、また、洪水が運んでくる肥沃な土壌の恩恵を受けていたこともわかりました。


Next