ピ ラ ミ ッ ド

 エジプト第1日目の朝は、浅い眠りの中、不思議な物音で目がさめました。
単調な抑揚のその響きはモスクから流れてくるイスラムのお祈り、アザーンでした。
ああ、ここはエジプト、これがイスラム、異文化を肌で実感した瞬間でした。じーんと胸に来るものがあります。
きけば、毎朝、というより、熱心なイスラム教徒は毎日、5回、お祈りをささげるのだそうです。
ひざまずいて両手を上げ下げするあのスタイルで、です。一回目が早朝4時です。
そういえば、後日、ある土産物屋さんでも午後2時ごろ外から帰った店員さんが、
急いで片隅にある、畳半分ほどの広さにカーペットを敷いただけのところで
熱心にお祈りをしている姿を見ましたし、
どこかの空港でも、その光景を観たことがあるとひとりの友達は言いました。              

最初にエジプトを統一したのはメナス王と言い、紀元前3000年ごろといわれます。

このメナス王を第一王朝として、以後、歴史の変遷を経て第30王朝まで続き、
アレキサンダー大王〜プトレマイオス王朝へと続きます。
プトレマイオス王朝の最後がクレオパトラで
彼女の死によって古代エジプト人の歴史は終わり、以後はローマ帝国に属します。これがBC30年です。
ハトシェプスト女王や、ツタンカーメンは第18王朝(BC.1567から320)、
第19王朝ラムセス二世〔1320〜1200)。
 ギザの三大ピラミッド  
左から、メンカウラー王、カフラー王、クフ王のピラミッド

ピラミッドはBC.2500年ごろ建てられたといいます。
最も大きいピラミッドは高さは145メートル、重さは700万トン。
私たちは二番目に大きいピラミッドに入りました。
一番大きいのはクフ王のピラミッド、とても私たち、中高年の手には、いや、足には負えないのだそうです。
私が聞いた人は苦しくて酸欠になりそうだったと言いましたから、よほど大変なんだと思います。
私たちが入ったピラミッドは、中の通路の幅は狭く、高さもうんと身を屈めないと、頭を天井の石にぶつけます。
でも、ピラミッドの石に頭をぶつけるなんて、なんと光栄でウレシクテ、自慢!出来ることかと、
私はゴツンゴツンとあたまを何度もぶつけながら心の中で快哉!を叫んでいました。
でも、私は上の写真の一番右端に見える崩れかけの小さなピラミッドがなんとなく好き!と思いました。
ピラミッドがお墓だとするならあのかわいいピラミッドは一体ダレのお墓なのでしょう。

私は痛い足を庇うためにステッキを頼りにピラミッドにはいりました。

それはもう、たいへんでした♪

我ながら、自分の勇気と言うより暴挙にカンパイ(完敗?)です。
足元は板張りで横に桟が打ち付けてあり、私はそれにステッキをつっかい棒にして、
辛うじて友達の後について必死の思いで玄室まで辿り着きました。
玄室とはピラミッドの中心に王の棺が置いてあったところといわれていますが、
勿論、今は、全部盗掘にあって、なにもありません。石で囲われた、がらんどうの空間があるだけです。

私は、アノ狭い通路をどうやって王の棺を運び入れることが出来たのか、どうしても想像出来ません。
ですから、玄室に確かに王の棺が置かれていたかどうかは疑問だという説もあります。
さて、バスの中でもう一つのピラミッドへ入る人は?と言われて、一瞬、この足でもう一度?と
ためらいましたが、やっぱりもう一度挑戦することにしました。
もういいわ、という人が何人もいて、ステッキをつきながらも、再度挑戦すると言う私に、
びっくりしてるひともいました。

次の日はみんな、太ももが痛くて、足が上がらないと言う人がたくさんいて、
私も、痛いのなんのって、それに痛めた右足は、それでなくても夜になると腫れて熱をもって
心中不安だらけでした。
心の中で整形の先生に呟きました。
先生、あなたはこれほどの痛みとご承知で、行ってらっしゃい!いってらっしゃい!
ナンテ軽くおっしゃったのですか?と・・・
でも今は、その先生にとても感謝をしています。とんでもない!止めときなさい、と
いわれていたら、私はあのエジプトを、ピラミッドを、見ることもなく終えたでしょう。

階段ピラミッド.

古王国時代に建てられた最古の
ピラミッド。
最初は長方形のマスタバ(墓)でしたが
数回の改築で階段状になりました。
屈折ピラミッド。

角度が変わっているのは、途中で崩れたとか、王が死にそうになって建設を急いだとか諸説紛々。


バスの中から観たピラミッド

アレキサンドリアから、カイロに戻る途中のバスの中からみたピラミッドです。
市街地のほんのすぐ近くにピラミッドがあるのがわかります。
それもおどろきの一つでした。




スフィンクス

スフィンクスはもっと怖い顔、
若しくは、威厳ある容貌かと
想像していましたが、そばで見ると、
鼻は欠け、髭はなくなり、
イメージとは違って
ちょっとお気の毒なような・・・
(ゴメンナサイ)
鼻はナポレオンの軍隊が
射撃訓練の的にし,
髭はイギリスへ持って行かれたと、
現地ガイドさんは言いました。

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