ポンペイの遺跡 向こうの山がウ゛エスウ゛ィオ山
観光の人々に混じって現地の働く人も。」


火山の噴火はAC.79年。当時商業都市として繁栄を極めていたこの町は、三日三晩降り続いた火山弾や火山灰によって埋没し、眠れる古代都市として歴史に名を残すことになりました。人々は逃れるすべもなく殆ど一瞬のうちに命を落としました。
その時のままのポーズが石膏で固められ現場に置かれているのが痛ましい感じです。
発掘が始まったのは18世紀になってから。今もなお続けられています。
入り口を入るとすぐ左手に見える、発掘現場です。 ウ゛エスウ゛ィオ山ははるかかなたです。
いかに規模の大きい噴火であったかが想像できます。
石造りのアーチ。 立派な石造建築
家々の間の道路は馬車の轍の後で窪みが出来、人々はそれより一段高い歩道を歩いたようです(狭い)。
既に水道がひかれていた事にも驚きましたが、水呑場が、水を飲むために身をかがめた時手を置いた石が凹んでいたりしてこの町の長い歴史を物語っています。
資産家の家の中庭とか壁には未だ僅かながら壁画の色彩が残っています。パン焼き釜などもあり、文化の高さも感じさせました。丁度日本の弥生文化の後期にあたる頃でしょうか。
ポンペイからローマへ帰る時にバスの中から観た夕日は忘れられません。
まるで溶鉱炉の中のどろどろとした鉄のようで、いつも観ているまぶしいようなきらきらした夕日とは違いました。
あんなまぶしさは無くてもったりとした質感、いつも観ている夕日より大きいような感じ。イタリヤは日本より太陽に近いの?
(私、随分非科学的なこと言ってるのでしょうか?)


いよいよ明日はイタリアともお別れ,我々の最後の晩餐?


初めてのヨーロッパ、はじめてのイタリアで、毎日がオドロキの連続でした。
日本の木と紙の文化との違いぐらいは承知していながらもあまりのスケールの大きさと堅牢さに圧倒され、友人と「凄い!スゴイ!京都が何さ!奈良が何さ!」と、日本人にあるまじきオソロシイ言葉を吐きながら帰ってきた私でした。考えてみれば、それまでは家庭に縛られてゆっくり日本国内も観ていない私でした。それ以来海外旅行の魅力に取り付かれながらも、折に触れて日本古来の文化にも注意を払うようになり,彼我の違いを軽々しく口にする軽率さを反省することになりました。
最後の機内食 「お客様、まもなく富士山が見えてきますが、ピンク色に見えるのは珍しいのです。」
とスチュワデスが言いました。友人が撮りました 
      
只今。 成田空港にて


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