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ソ ウ ル |
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11/427/〜4/30 |
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成田山新勝寺
ソウルへ行くにあたって折角だからということで、子供時代家族で訪れた成田さんへ立ち寄ることにした。もちろん新幹線はおろか、トンネルを通るときは窓を下ろし、うっかりするとそれでも煤が車内に入り込むという時代であった。ん十年前の記憶というものは不確かなもので、私のイメージと実際に訪れたこの有名なお寺はあまりにもかけ離れていた。本殿ですらわたしの記憶にあった形とはまったく違っている。広い境内にはエレベーターまで設置されていたりして、私に時代の経過をつくづく痛感させてくれた。 |
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ソウルへ |
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久しぶりの成田空港。最近はセントレアを使うことのほうが多い。
この日は、4月24日。あの大震災から一ヶ月ちょっとしか経っていない。行くべきか行かざるべきか?
空港も機内もいつもよりぐっと人が少ない。やっぱり既定のスケジュール・・・.行こう!少しでも日本経済に貢献するのよ、と後ろめたい気持ちを抑えながら機に乗り込む。 |
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うわ!富士山!こんなにはっきり見えるなんて珍しい。 |
南アルプス。真っ白い雪が山脈を際立たせる |
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明洞地区にあるホテルに宿泊。ホテルの前から。教会が望める。
ついてすぐにおひるだ。
ガイド一人、客は私たち二人だけ。小さなマイクロバスで三日間ソウル市内を回る。言うならばラッキーな話。
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本格的な韓国料理かどうかかは知らないけれど、美味しかった。われわれ二人だけなので、サービスすに奮発してくれたのかな?でも、ちゃっかり追加料理はとらされたよ。 |
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宋 廟 二日め |
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李朝歴代の王と王妃が祀られている。つまり、墓ではなく位牌が安置されているということだ。太祖李成桂から19代までの王と王妃が祀られているが、すべてというわけでなく、功績のあった王、または王妃が祀られている。ここで私たちは日本から1920年韓国の李王世子の李垠に嫁いだ李方子さんの位牌が一番右の室に祀られているいることを知った。彼女は戦後も韓国に残り社会福祉に尽力し、この国の人々から親しまれ尊敬されていると聞いた。 |
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宋廟の石積み長い塀が美しい |
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美しい庭園 |
他のツアーのガイドチマチョゴリを着ている女性はこのガイドと
もう一人しか見当たらなかった |
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真ん中は神の道、右は王、左は皇太子 の道と聞いてあわてて石ノ上から下りた。 |
足元の巴模様の置物は難なのか、ガイドも知らないという。
質問攻めの私たちがちょっと戸惑った様子 |
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ここが歴代の、王、王妃の位牌が祀られているところ。墓地は別のところにあるとか |
紫色の花はなんだったかしら? |
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草とりをしている女性たちの座り方が独特。 |
働く人 |
景福宮 |
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景福宮の入り口、興礼門 |
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中央は王の、しるし |
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興礼門、正面 |
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内陣は鮮やかな色彩 |
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チマチョゴリを着た女性。ガイドらしい。
紺色の無地が却って美しい。 |
日時計 |
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妃の住居。色彩が柔らかい。 |
間仕切りが 日本の障子を思わせて 美しい。 |
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一人行く 後姿 |
勤政殿 国家の主要儀式お行うための本殿 |
広い庭園、中国とは違い赴きが日本に似ているような |
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夕 食 |
南大門市場 がんばって日本! |
唐辛子!!! |
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焼け落ちた南大門 再建はいつ? |
繁華街 |
三清洞 |
歩道の真ん中に消火栓 |
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東京の代官山に似ていると言われているところを案内された。私は代官山を知らない |
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三々五々川縁を歩く人 |
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夕 食 |
三日目の朝食はほてるの外で粥 |
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今日はもう帰る日、雨模様なので、ソウルタワーはあきらめて市内をぶらぶらした。銀行には「朝鮮商業銀行鐘路支店」の日本の文字が。ロッテデパートの通路には、キムヨナの写真が大きい。 |
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尼僧姿の女性が歩く。向こうには教会 |
朝鮮商業銀行鐘路支店 |
キムヨナ のポスター |
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屋台 |
移動ハンバーグ屋 |
空港からのリムジンバス |
このガリバーの靴みたいなのは、地面に固定されているのかな?前夜からギモン。そっと足で触れてみた。
あ、動いた! |
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帰路、空港へ向かう車の中からソウルタワーが見えた。 |
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