旧川上貞奴邸

川上貞奴邸


 名古屋城から徳川園(旧尾張藩邸)に至る「文化のみち」として街並み保存、整備がなされた。ここは江戸期には中、下級武士の屋敷が連なり明治から昭和のはじめにかけては近代産業のの担い手となる起業家、宗教家、ジャーナリストなど様々な人が去来し、交流する舞台となった地域である。

 貞奴邸は当時としてはその斬新さと豪華さから「双葉御殿」と呼ばれ、政財界人や文化人のサロンになっていた。邸内のサロンを見ればそれは充分理解できる。

  
  川上貞奴(1871〜1946)
 日本の女優第一号として知られる川上貞奴。明治時代、オッペケペ節で知られる川上音次郎と結婚するが、彼の死後は、電力王と呼ばれる福沢桃介(とうすけ。福沢諭吉の養子となった人)とともに事業のパートナーともなり文化のみちエリアの北端にあたる、名古屋市東区双葉町に暮らした。
 女優時代はヨーロッパ18カ国を回り、1900年のパリ万博では一躍有名になり絶賛を博すが、国内では、元芸者ということからさほど認められなかった。ヨーロッパでは、ピカソのモデルになったりもしている。




福沢桃介(1867〜1938)
 福沢諭吉の次女ふさの婿。名古屋電灯(株)の取締役になった頃から電力事業に乗り出し、大同電力(株を設立。名古屋を拠点として、木曽川水系に大井発電所をはじめ7カ所の発電所を建設。電力王と呼ばれた。 

 

貞奴邸 の 外観 玄関横 の ステンドグラス 玄   関


玄関を入ると正面に飾られているステーンジ
サロンから二階にあがる螺旋階段 サロンを飾る ステンドグラス
階段から見るサロン 二階にある 貞奴の 居室 ガラスケースには日用品が
拡大画像

拡大画像

拡大画像
女優時時代の ポスター など 貞奴の 筆跡 大正9年建築当時のあたりの風景
さぞ目立ったことであろう
ポスター 郷土出身の作家の書斎を再現している 階段を上がったところ、奈良ホテルを思い出すレトロな感じ
中庭を見下ろす、左の建物は蔵 はこんな下駄箱がどこの家にもあった サロンからガラス越しに外を見る
旧 豊田佐助邸 陶磁器業界に功績のあった、春田轍次郎邸
昔はここら辺りは、白壁町と言った 珍しい樹形の、紅白の桃の木 老舗の料亭、『加茂免』。客を迎えるための打ち水か
長塀町という町名もあったっけ すぐ近くに、高速道路
 後日、わが国最初のダム式水力発電所が建設されたと言う恵那峡に行く機会があり、福沢沢桃介が建設しダムを見ることができた。長さ276メートル高さ56メートルという堰堤が築かれていた。 当時は48000キロリットルの発電をしていたが、昭和58年に、2号発電所が増設され計、80000キロリットルの発電能力を持つようになった。
 遊覧船の乗り場には、貞奴と桃介のロマンスを思わせるこんなカンバンもあった。貞奴が建てたと言う貞照寺もこの近くにある筈。
top