03/11/16

那 谷 寺  (なたでら)

 思いもかけず、旅行社のバスツアー”紅葉ミステリーツアー”と言うのに参加して、目的地がどこかわからない、紅葉探索のツアーに出かけました。この種のものには触手が動かない私でしたが、最近は、あとどれだけの時間がのこされているか? チャンスがあれば!という心境の変化から、なるべく出かけるようにしている
 因みにこのツアー代金は、イッキュッパならぬ、一桁下のヨンキュッパ!4980エン也。評判の企画とか。

 名古屋のバスセンターから、名神高速にのり、米原をそのまま西へ走るか、北へ折れるかで行き先はだんだん絞れてきます。北へ折れたので、多分・・・と、同行の友だちと話し合っていたら、矢張り北陸の名刹『那谷寺』でした。
 五、六年前、はじめていったときは初夏でした。あまり信仰心も審美眼も持ち合わせませんが、自然岩を生かした庭園の素晴らしさには目を見張ったものでした。今年の紅葉は今一つと言われてはいましたが、北陸石川県とあれば、綺麗な紅葉が見られるかなと期待を込めて友達と話し合いながら、早々とバスの中でお弁当を食べてしまい、現地散策の時間に余裕を持たせようと言う私達の狙い。一番早く済ませてしまったのが私達5人。そういう作戦に長けた友だちが私の友だちには多い。 相変わらず私は、ぼんやりとその作戦に従うだけ。   
そして時々ふらふらと迷子になるのも私!
 那谷寺は、白山信仰の寺で養老元年(717)越の大徳泰澄神融禅師によって開かれました。禅師は夢に見られた十一面千手観音の姿を自ら造られ洞窟内に安置し、白山開拓の鎮守神となさる。そしてこの地にお堂を建てられ自生山岩屋寺と名づけました。
 その後、花山(かざん)法王がこの地においでになった時この観音様をご覧になり、夢のお告げにより、三十三箇所第一番、紀伊の那智山と、第三十三番美濃の谷汲山の各一字をとって那谷寺と改め七堂伽藍を造営され、自らこの地に居を構えられます。
 その後南北朝の争い(南北朝分裂、1338)、一向一揆(加賀一向一揆、1474)等で焼失し、寺勢も衰えますが寛永年間、前田利常:利家の側室千世の子供で前田家三代目。がその荒廃を見かねて、寺院、庭園共に復興します。

 ここには『奥の細道』で有名な、芭蕉の『石山の 石より白し 秋の風』の句碑もあり、私は、先回この句碑に出会った時の感慨をもう一度想いおこしました。 白と言えば、先ず清潔感が思い浮かびますが、この句ではそれよりも、寂しさや、儚さ、空しさが先にたちます。芭蕉は、石山の石より、境内を吹きすぎる秋の風のほうが白く感じられるといいたかったのではないかしら。

 因みに花山法王(968〜1008)は、名は師貞、、藤原兼家の陰謀に引っかかって天皇在位はたった二年間でしたが、たいへんな風流者でもあったとか。
金 堂   華 王 殿 遊  仙  境 大 悲 閣 本 殿
三 重 の 塔 今一つ 物足りない 紅 葉 芭 蕉 の 句 碑
鶴 仙 渓
 鶴仙渓が山中温泉の代表的なところなんて全然知らず、又これがミステリーツアーでなかったらもう少し下調べをして行って、こんなに口惜しがることはなかったろうに・・・。こおろぎ橋から1.3キロにわたる渓谷の遊歩道には、芭蕉を始めいろんな句碑が散在しているとかで、興趣は一段と増したであろうに・・・。

 こおろぎ橋は行路がいかにも危ないので『行路危』の意味から名づけられたとか、秋の夜になくコオロギから来ていると言う説とあるそうですが、私は後の説に賛成したい思い・・・。バスから降りて小走りに橋を渡る時、木造りの古びた橋に、イイ橋!おや?句碑があるゾと、気をとられながら、急いで渡ってしまったのが、迂闊でした。この橋の袂に芭蕉の句碑があったのです! 帰りにも近づいてまじまじとみつめたのに、、早や、摩滅してこれも那谷寺の句碑のように判読する事はできませんでした。まして芭蕉の句碑とも気づかずに・・・。
 ここには、かがり火に 河鹿や波の 下むせび。 の句が。  『奥の細道』には採られていない。

 渓流に沿って下流に歩いていくと、 あやとりはし。 コレがまた、こおろぎ橋とはうって変って近代的な橋で、驚く。あとで調べたらこれは、いけばなの勅使河原宏氏の手になるなるユニークなデザイン。紅紫色の意表をつくデザインは、一見あたりの景色との異和感を覚えましたが、今は山中温泉の新名所になっているそうです。もっとゆっくり見たいのに、ドウシテみんなさっさと歩いていってしまうんだろう、と恨めしくなる。 私達はこの橋を渡って引き返しましたが、まだこの下流の黒谷橋には芭蕉堂もあるそうで、俳句愛好者にはたまらないところでしょう。
大 聖 寺 川 あ や と り は し
橋 か ら 下 を 見 る 橋 を わ た る
    
 このあと私達は、メインストリートともいえる道路をあちこち渡り歩きながら、骨董や、みやげ物や、コーヒーショップ、八百屋さんなど、古いものと新しいものの混在する通りをバスの待っているところまで歩く。途中、美味しくて安いので評判というコロッケを60エンでゲット。頬張りながら歩く。何時の間にやらこういう事が平気で出来るようになった私。              

ふと、以前、芭蕉自筆の奥の細道が見つかったという記事をスクラップした事を思い出して探し出したのが下の写真。1996年11月26日とかきこんである
  
  
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