京都の桜
2008/4/11
仁 和 寺

仁和寺をまだ見ていない。 今年こそと京都を目指した。

仁和寺は、888年、(仁和2年)宇多天皇によって落慶。西山後願寺といわれたが、のちに年号をとって仁和寺といわれるようになった。

 応仁の乱で伽藍は全焼。徳川幕府によって寛永年間に再建されました。

徒然草の、『仁和寺の僧』を思いうかべながら、私と同じようにうっかりもののお坊さんがいたんだわ、と心中、親近感を抱きながら、朝、遅めの出発となった。

その仁和寺のお坊さんではないけれど、私にはやっぱりガイドが必要。
幸い、Hちゃんも今日京都を歩いている筈。強力な助っ人にいざとなったら救いを求めようとバッグの中のケータイを確かめる。
中門が 見える 見入る 人            美しい 透かし彫り?
                             金 剛 力 士 像             五 重 塔
                    御室の桜は 花が低いところに咲くので お多福桜 ともわれる 
金  堂
                    
                           鐘     楼                              躑躅も きれい
宸 殿 の 庭
宸 殿 の 内部 椿が 鮮やか やはり 美しい 欄間
   
竜 安 寺

石庭で知られる竜安寺は、1450年(宝徳2年)応仁の乱の東軍の総帥、細川勝元が創建した禅寺である。応仁の乱で消失するものの、勝元の息子らによって建て直され、その後は豊臣秀吉や徳川幕府などによって保護されたという。当時は現在よりずっと敷地は広く、今の石庭より、池泉式回遊庭園として広く知られていたそうな。

竜安寺の桜が綺麗です! と、Hちゃんからメールがはいった。 石庭は知ってるけど、あのお寺に桜があったかしら?と思いながら期待が膨らむ
                   いよいよ 竜安寺            苔の上に 散り敷いた 花びら
                            
縁に腰を下ろして庭に眺め入る。何度もを訪れているけど、ここに桜があることは全然気付かなかった。意表をつかれた思い。隣に座った女性が、「この桜は一生忘れない」と言っていたのが記憶に残っている。でも、私は、一歩この庭に入った瞬間目に飛び込んできたこの桜が、なんだか石庭にはそぐわない感が今でも消えない。確かに綺麗だけど、あでやかなしだれ桜がこの石庭に必要だろうか?今でも心にひっかかっている。
                             
                   知足 の 蹲                                      石庭 の 模型
修学旅行らしい高校生のグループがいた。引率の先生が、石庭を前にして「この石はいくつある?」と生徒に尋ねていた。生徒たちは「14」と口々に答えていた。先生曰く、「15あるんやぞ。よう見てみい。あの石の後ろにもうひとつあるんや。お前たち、目に見えんものを見ることをわすれるな」。なんかたとえがヘンだなあ...と私は聞いていた。
                            
四条大橋から

竜安寺を出て、金閣寺へ。ここは外国の人を含めて混雑がひどかった。 早々に引きあげて、平野神社の満開の桜を見る。もう桜は十分・・とばかり市内へ引き返す。 四条通りをぶらぶら。そうだ、Hちゃんは今頃どうしてるかしら?と、メールしてみる。なんと三条の橋の袂でお茶してるって?京都で会えるとは思ってもいなかった私達。そんな近くにいるのに会わない手はないわ。四条大橋の手前をを右に曲がり三条大橋へ向かう。
              四条大橋から 三条大橋を 見る                               鴨川の堤を 三条大橋へ 急ぐ
橋を渡る。ああ、いたいた。手を振っているHちゃん。駆け寄る。離れた所に住んでいる者同志がこんなところでばったり会うのもいいものです。
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