飛鳥と明日香、どう違うの?といつもかすかな疑問が頭の隅っこにあるけれど、どちらも美しい文字ですね。飛鳥は時代を表し、明日香は地名を指す。
歴史的なことはさておいて、「明日香フリーウオーキング」という、私にとっては願ってもないツアーを発見。早速友人と二人で参加することになった。
スタート地点は高松塚古墳の近く、最終集合場所は石舞台古墳の近く。
追い抜かれることはあっても、決して追い抜くことのない、マイペースで私たちはこの日一日を十分楽しんで歩きました。ぐるりと北へ回りこんだ飛鳥寺や、板蓋宮跡までは私たちの足では一日では無理。来年必ず来ようね、いいながら。
秋の一日を、青空に映えるコスモス、重そうにたれる稲穂との出会い。あまりにもきれいに整いすぎている、という疑問が頭をよぎりますが、ここにスーパーやコンビニ、マンションが立ち並ぶことを想像すると、ああよかった、と思う。
学者、芸術家 政財界の多くの人たちがここを歴史保存地区として残すことに尽力してくださったことに感謝あるのみです。 |
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先ず高松塚古墳に向かって歩き出す。 途中目にしたコスモスの群落に、友達は大よろこび。私が初めてコスモスの里を見つけたのも奈良だった。
コスモスには青空がよく似合うね、などと、どこかで聞いたような会話を続けながら古墳への道を辿る。 |
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高松塚古墳 |
発掘されたのは、昭和47年(1972年)。
鮮やかな壁画と共に話題を呼んだ。下の二枚の写真は、古墳の傍に立てられた説明を私が撮ったもの。
古墳の東側には、女子群像。 西側には白虎。 北側には玄武。南は盗掘口とかかれている。
近くにある高松塚壁画館には、太刀飾金具、木棺金具 、海獣葡萄鏡などのレプリカを展示し、高松塚古墳の全貌をわかりやすく再現してあるというが、私たちは先を急いだ。 |
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小さな茶店がある。案山子が迎えてくれているが素通り。 |
刈り取りの終わった田んぼ |
道端の 地蔵さん |
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鬼の雪隠 |
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元は古墳の石室一部であろうが、今は壊されてこのような形になっている。雪隠とはトイレのこと。 |
鬼の俎板。道を挟んで雪隠と並んでいる。
古墳の床石といわれる |
亀石 |
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亀石は以前は東向き、今は南西を向いているが、西向きになった時、大和地方は泥の海と化すという伝説があるそうな。 |
こんな家並みも。 |
橘寺へ向かう人 |
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橘寺 |
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橘 寺 遠 景 |
まっすぐ行くと 橘寺の門 (正確には裏門) |
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橘寺は、聖徳太子(今では厩戸皇子というのが正しいようだ)生誕の地とされ太子建立の七大寺のひとつ。
現存する伽藍は江戸時代以降のものといわれていますが、美しい橘形の塔心礎が残っている。
大勢の人が行列を作って中に入る順番を待っているのに驚く。実はここは裏口なのに、明日香を回るのにはここから入るのが便利らしいのである。
右が正門を出て下ったところ。置き去りにされた貸し自転車がならんでいた。 |
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本 堂 |
黄色い 彼岸花 |
崩れかけた 土塀の蔵 |
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聖徳太子の愛馬といわれる 橘の紋章 |
鐘楼 若い男性が手を合わせる、珍しいな? |
二面石 人の心の善悪二面を表したものといわれる |
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飛鳥時代の 塔芯礎 |
栴檀の 大木 |
狛犬のある ここが正門 |
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川原寺 |
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川原寺は飛鳥三大寺のひとつ。かなり規模の大きい寺のようである。敷地が広くあちこちに礎石や鐘楼の跡などがあるが、礎石の中にはレプリカでプラスチック製のものもあるとか。踏みつけると傷がつくとかつかないとか? |
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辻々にこうして人が立っていて道案内をしてくれるので迷うことはない。 標識に「吉野川分水」とある。当時の水飢饉など想像する。 |
広い敷地の中のあちこちに人が集まっている。 当時のありようを想像しているのかな? |
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広い敷地のわりには本堂が小さい。 本堂横に食事処などがあるのが、いささかわびしい気がする。 |
この踏み石が美しい。当時のものかどうか? |
いよいよ石舞台地区へ向かう。広々とのどかで歩くのも心地良い。 |
石舞台へ |
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飛 鳥 川 |
玉藻橋を 犬を連れて散歩する人 |
万葉集 の 歌 |
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いよいよ石舞台地区へ入る。 やはりすっかり整備されて公園のようだ。
奈良を愛した写真家、入江泰吉さんの写真集には、石舞台の上で遊ぶ子供たちを撮 ったものがあり、 飛鳥の自然に溶け込 ん だ微笑ましいシーンがある。
今は望むべくもないが、下の左の写真は、若いカップルが 中を覗き込んでいるところをパチリと撮った 私のお気に入りである。 |
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石室を覗き込む若いカップル
現代ですねえ、と、心の中で呟く。 |
石室内の天井 隙間から日が射す |
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石室へは 横から 入れる |
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このページを作成している折も折、こんなニュースが流れた。
飛鳥時代の女帝、斉明天皇(中大兄皇子の母)の古墳「牽牛子束古墳」の近くで新しい古墳が見つかった。日本書紀に記述のある大田皇女(おおたのひめみこ)の古墳の可能性が高いという。大田皇女とは中大兄皇子の娘である。
明日香村を歩きながら思ったものだ。今歩いているまさにこの足の下には、まだまだ未発見の遺跡がたくさんあるのだろう・・・と。
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