メテオラ
今日の目的地はメテオラ。

朝、7時半にデルフィのホテルを発ち、途中休憩をとりながら峠を二つ三つ越えていくバスの旅は時間を忘れさせてくれる楽しさがある。かと言ってものめずらしい景色が目の前に繰り広げられるわけでもない。テッサリアの平野は、あくまで明るく、穏やか。所々、岩肌を白くむき出した山の斜面には緑の低潅木が、へばりつくようにびっしりと生え、その間を点々と、或いは線となって黄色の低花木が姿を見せてくれる。アレはなんと言う名前?誰かが、えにしだみたいと言う声も聞こえたけれど定かではありません。ともかく、町と言えるところ意外では殆ど人間の姿にお目にかかることもない。羊すら、ときたま、あ、ヒツジ! という程度にしか目にふれない。
ホテルの前でスーツケースの番をしてくれた少年。16才。土曜日も学校は休み  テッサリアの高原は平和そのものにみえる 羊の群れ。 滅多にお目にかからない。 のんびり,草を食んでいる
 休憩をとったラミアの土産物屋兼レストラン。大きなホットドッグや珍しいサラダ類。ここではオリ−ブオイルと、蜂蜜が多く目に付く

時々この老婦人のような黒衣の女性を見かけた。何でも、未亡人になった女性は一生黒い衣服で過ごすのだそうである。ギリシア正教の戒律かも知れないが、果たして男性はどうなのか?聞いておくべきだった。
 
 バスの進行方向に奇妙な形の岩山がみえてくる。みんな目を見張る。メテオラの麓の町、カランバカに近づいてきた事がわかる。 カランバカで昼食を取り、いよいよメテオラをめざすのです。 ギリシアでは、簡単な食堂の事をタベルナという。看板は「タベルナ」−エスティヤトリオ」。エスティヤトリオとは、「かまどの在る場所」と言う意味だそうな。
リ ゾ ッ ト サラダ(これと同じものがどこでも 店 内
レストランの中には有名人の記念写真とサインがこれは日本の女優さん     軒先で初めて見た、ブーゲンビリアまだ季節には早そう

メテオラとは、宙に浮く、という意味だそうな。太古、ピンドス山から流れ出た水の侵食作用によって硬い岩石だけが残り今のような奇岩の形になる。

ここは、はじめ、9世紀頃からギリシア正教の僧たちが修行の場に選び、洞窟や岩の裂け目を住まいとして精神鍛錬の場としていたのが、11世紀には集団化して修道院の建設がはじまります。その労苦たるや想像を絶するものがあります。14世紀にはいるとギリシア北部から、聖アサノオスが移って来てメテオラは最盛期を迎えます。その地形の険しさによってトルコ勢力のキリスト教弾圧からも逃れる事が出来ましたが、15、6世紀を境に次第に衰退し当時24を数えた修道院も現在はわずか6を残すのみ。

世界遺産にも指定され、今では観光地としての知名度の方が上回ります。修道士が交代で休日をとるので、どの修道院に入れるか当日にならなければわかりません、とガイドに言われました。
私たちが入場したのは、メガロメテオラ(一番大きい)。三人の修道士が住んでいるという。この広いスペースにたった三人!
住居部分にはロープが張ってあって立ち入り禁止。気のせいか生活の匂い、人間の匂いがしたような気がしました。
ルサヌ修道院(尼僧院。13世紀の創建)一番の景観。 あんなに切り立った岩の上にどうやって行き着くのかとフシギだったけれど、案外簡単に、普通のドライブウエイのように15分程で辿り着いて拍子抜けしてしまったけれど、昔はさぞ難所だった事でしょう。 一番右の写真は荷物の運搬風景。昔は人も荷物も編んだ籠に乗ってケ・セラセラとばかりに渡っていたのだそうな。   click すると 拡大画像 になります。
 細長い塔の天辺に、編み袋がぶらさがっている。 昔はそれで荷物を上げ下ろししていた。 
   ここで亡くなった人のしゃれこうべ 壁にはここの修行僧によって描かれたフレスコ画がマダ色鮮やかにのこっている。
食    堂 食   卓 覗き込んで下を見る人

  よそからやってきたという老僧、93才とか。 女性はスラックスをはいていてもロングスカートをつけなければいけない。入り口で貸してくれる。   みやげ物売り場。
    牛が上でのんびり。
     カランバカの町を後にする  こういう人も居るのでロングスカートが必要 チェリーの量り売り

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